旅行業のサワガニを求めて
東京の下町。ほかでは見かけない珍魚も扱う鮮魚居酒屋は、店先で一風変わったサービスを展開している。銀だらいに30匹ほどのサワガニを放ち、添え書きに「揚げて食べても、持ち帰って飼ってもOK」とうたう。わさわさ動き回る愛らしい小動物が、客の選択次第で10分後には食皿に載る。「デッドorペット」とでも呼ぶべきオプションは、子連れの家族客などにはなかなか刺激的だが、刺身も揚げものも貴重な命をいただいている、という食の原点に気づかせてくれる仕掛けともなっている。
コロナ禍が始まって1年半、旅行業は大きな影響をこうむり続けている。まさに「デッドorアライブ」の岐路に立つ。業態変更や従業員カット、そして廃業といった厳しい選択を迫られた同業者は多い。
当社・読売旅行もビジネスモデルを転換した。営業所ごとに商品企画・販売してきた体制を思い切って中央集権化し、地方の要員は観光振興事業など新規事業に振り向けた。当社の得意技はメディアでの宣伝を通じて大量集客し、バスや電車、飛行機で団体ツアーを催行することだが、フリープランなど個人型商品の比重を増やした。新設したテーマ旅行の部署では、読売新聞グループの強みを生かした「オンリーワン」のプレミアム商品に挑戦している。たとえば、人間国宝の工芸家が手掛けた器で、その卓話を聞きながら一流シェフの料理を嗜む「工藝ダイニング」は、宿泊(1泊)付きだと20万円近い価格ながら、大反響をいただいた。
ただ、こうしたエッジの立った商品を自前で開発・販売するには限界がある。当社には、幅広い集客やメディアを通じた発信では知見があるが、富裕層向け商品の造成ノウハウや販路を持つわけではない。お客様に満足していただける付加価値の高い商品をつくるには、この新聞を読んでいらっしゃるホテルや旅館、観光施設、交通機関、それに同業他社とのコラボがカギと考えている。パートナー事業者のすぐれた企画を当社の旅行商品と組み合わせ、デジタルも駆使した多様な販路で提供していくことこそが、ウィズコロナ期を生き抜く道だろう。
「人が旅するのは目的地に着くためではなく、旅するためである」と言ったのは、ドイツの文豪ゲーテだ。旅は、人生を豊かにする機会であり、断じて「不要不急の外出」ではない。(ただし、世界的な疫病流行のさなかに、どうしてもしなければならない行いでもない) コロナ禍が収束に向かった時、感染への恐怖と巣ごもりに疲れ切った人々に、ささやかでも生きる意味を再び実感できるような旅の体験を提供したい。時短営業の居酒屋でサワガニをながめながら、思いを新たにした。
貞広氏